撮影してきました

【動画の初公開は4月9日】

こんばんは。
先日、投稿させていただいた齋藤さんとの新企画ですが、先日、動画を撮影してきました^^

内容については、私が普段開催してる”自分道カフェ”と似ているかもしれません。
例えば・・・。
・コンセプトは『価値観の送受信』
・ルールは「相手の価値観を否定しないこと」
・用意されたいくつかのテーマに対して、自分の感じることや思うことを共有します。
いままで出題されたテーマはこんなもの。
「お金」「教育」「勇気」「美意識」「命」「宗教」「占い」
「時間」「仕事」「仲間」「習慣」「成長」「あそび」 etc…

こんなテーマを齋藤さんとゆるーく話しながら動画配信していこうかなぁと。
今後、ゲストになりたい方、メッセージください笑

新しい取り組みで、私自身の個人的な動画配信は初めてですが、それも含めてやってみたいと思います。

初回テーマは、20代、30代のみなさんなら一度は考えたり、聞いたりしたことがあるあのワード。
「◯◯◯◯」

ここではまだ内緒です 笑
配信はブログやFacebook、自分道カフェのLINE@で配信していきます。

お楽しみに!

美意識の追求(2018年3月 自分道カフェ)

【2018年3月レポート】
美意識の追求(第24回)

日時:3月18日(日)10:00〜12:00
場所:東京ENGAWA
参加者:小沢さん、木之下さん、倉藤さん、塩島さん、山本さん、秋山さん、高橋さん、田代さん、宮本


こんにちは! 宮本伸男です。
今月も3月度の自分道カフェを開催させていただきました。

毎回第3週の日曜日の朝10時。
遠くは山梨からも参加いただき、今回は香川からの夜行バスでそのまま参加いただいた方もいました。

本当にみなさんに参加いただける場所となっていることが嬉しいです^^

さて、今回は3つのテーマでお話しました。

1)うさんくさい

2)美意識

3)お金

それぞれのテーマでいろいろな学びや気づきがあったのですが、今回は”美意識”について書いていこうと思います。

美意識、というテーマになったのは自分道カフェの始まる前、ちょっとした雑談の中である一冊の本をみなさんに紹介したことがきっかけでした。

その本の名前は

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
経営における「アート」と「サイエンス」

[山口 周]の世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~ (光文社新書)

https://www.amazon.co.jp/dp/B073S1RJX2/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

というもの。
私の知人の3名に同時に勧められたのがこの本だったので最近読み進めています、という話しをしたところ、「美意識」ってそもそも何? という形でテーマの一つになりました。

今回も美意識、に対して様々な意見がありました。

  • 自分が美しいと思っていても人から見たときに美しいとは限らない
  • 美意識とは自分の中で追い求められるもの
  • こだわり
  • 哲学
  • 造形美
  • 女性は美意識とか重要   ・・・etc

最後にもあるように、確かに意識としては女性の方が”美意識”という言葉に触れる機会が多いのかもしれません。

また、初参加の高橋さんがおっしゃられた「美意識とは人から見られた自分をどう考えるのか、ということ」というのは客観よりも主観で考えていた私にはない意見だなーって感じました。女性は共感する方も多いのかな? 新しい視点です。

そもそも美意識ってその言葉の中に”美”という文字が含まれています。美を辞書で調べてみるとこのような意味が。

  1. 外形がりっぱできれい。うつくしい。
  2. 内容がりっぱ。みごと。よい。「有終の美」
  3. よしとする。ほめる。よみする。
  4. 哲学で、感性と理性との調和統一に対する純粋な感情を起こすもの。「美学・美意識・真善美・耽美(たんび)」

なんと。
美意識という言葉自体が辞書に載っています。ここには美意識は哲学が関係している感じ。

《感性と理性との調和統一に対する純粋な感情》

 

・・・やばい、何を言っているのかよくわかりません。

一つ一つ読み解いてみます。感性というのはその名の通り、私たちが感じる性(さが)ということになります。

綺麗だなぁ、楽しいなぁ、面白いなぁ、つまらないなぁ、ムカつくなぁ

これらは全て感性と呼んでもいいでしょう。

一方で、理性とはなにか。

昔、イチローがバリバリとメジャーでヒットを量産していくのをみて、「あなた天才ですね!」と記者が声をかけたと言います。

しかし、イチローはこう答えました。

「いいえ、僕は天才ではありません。なぜなら、打てた理由を理論的に全て説明できるからです」

なるほど。
つまり理性というのはロジカルやサイエンスで説明がつくもの。

そして、ロジカルでありサイエンスであるものは再現性が高いということ。
これは、「感性」ではなく「理性」に近いものなのだと思います。

さてさて、戻りますと、
「理性」と「感性」に統一性がもたらせると哲学の世界では”美しい”となるようです。
もっと噛み砕いていえば、
感性くん「これ、なんかよくわかんないけど素晴らしいよね!」 に対して、
理性くん「その理由は〜〜〜〜で〜〜〜だから素晴らしいという考えになるんだよ」
という状態が”美しい”ということみたいです。
あくまでも、辞書の世界では。
ということで、辞書の話では私自身はさっぱりわからないので、自分なりの美意識を語っていきたいと思います。
(最初からそうすればよかった 笑)
自分道カフェでもお話しさせていただいたのですが、『美しい』と感じるものって本当に人それぞれなのかなぁとも思っていて。
例えば、目の前に一枚の絵画があるとして。
この絵画を見たときに、Aという人が「素晴らしい絵画だ!」っていうかもしれないけど、一方のBさんは「そうかな?」って思ったりもする。
最近は私も二木さんに同行いただき美術館で絵を見ていますが、
「この絵がすごいんだ!」みたいな感じだったとしても、
「へー」くらいしか思わなかったりするわけです。
でも、あの美術館に並んでいる絵画はどれも素晴らしいもの(だと言われている)ものであり、世間一般でいえば”美しいもの”という部類に入ることになる。
じゃあ、自分の美意識って間違っているのか? と問われれば、「いや、俺には俺の見方があるんだ!!」と声を大にして主張したくもなるわけですよね 笑
私は「シンプル」なものが美しいと感じたりします。
シンプルというのはミニマルとは少し違っていて。
複雑そうに見えたり、色々と試行錯誤の上、導きだされた答えや結果なんかが「美しい」と感じるわけです。
例えば、グーグルの検索エンジンは美しいと思います。
一つの窓。でも、そこに検索ワードを入れることはどんな人でもわかります。
グーグルのことだからYahooのの検索エンジンみたいに色々なことができたはず。
でも、敢えてそれをやらない。 しかし、あの検索窓の向こう側では複雑で高度なシステムが動いているわけです。
そういうものに非常に興奮します 笑
しかし、そういうシンプルなものって、使う側からすれば
”シンプルであるかどうかすらわからない”
と思います。
だからこそ、私はその「コンセプト」が好きだったりするんですよね。
こういう想いを持ってこれを作ったんだ! これが私の表現だ!
というのがすごく好きですし、その完成品が美しい、と思ったりします。
あ、なんかここまで書いていてびっくりしたんですが、さっきの”美”という辞書の話。
《感性と理性が調和統一したときの感情》
これって私の美しいと感じることがまさしくそうかも・・・。
コンセプトが感性だとしたら、それを実現したもの(理性/ロジカルやサイエンス)と触れたとき、私は単純に美しいと思うのかもしれません。
でもでも、そう考えると”美意識”っていうのはその”美しい”というものの”意識”ということになります。
美しい、とは目の前にあるものから先を見据えた本質や洗練されたもの、積み重なってきたものを表現したものに触れたとき、がそうなのだとすれば、
『その本質や洗練されている部分、積み重ねられたものに触れようとする意識』 こそが私にとっての美意識、となります。
例えば、先ほどの美術館の話。
「この絵画はよくわからんなぁ・・・」
これってパッと見ただけだとそれで終わりなんですけど、私の中では美意識というのはさらにもう一歩先のことなのかもしれません。
「この絵画はよくわからんなぁ・・・。」
 ↓
「この作者はどのような意図やコンセプトで書いたのだろう?」
「この作品は何年前の作品なんだ?」
「ここに展示されるまでにどれほどのことがあったのだろう」
と目の前の事象や結果に対して、その奥を知ろうとすることや価値ある部分を見極めようとする意識のことを”美意識”というのではないかと。
結構、私とかもそうなんですけど、目の前の事象やアウトプットを単純に受け止めて終わりにすることがたくさんあります。
でも、もしかしたらその先だったり、深く掘った先に”本質”って隠れていたりするかもしれないですよね。
うーん、そう考えると世の中は”美しい”ものに集約されていく気がするなぁ。
法律や規制を超えて、地球や世界が求める”美しい”ものに様々な事柄は集約されていく気がする。
それこそが本質や真理なのかもしれませんし、哲学の存在意義なのでしょうね。
なんか今回も散文になっちゃったなぁ。申し訳ないです。
美意識に対する私なりの結論です!
美意識とは、
「物事や事象の本質や背景、真理を求める意識のこと」
としたいと思います!
次は、2018年4月15日開催!
みなさんの参加をお待ちしています^^

教育とはなにか?(2018年2月 自分道カフェ)

【2018年2月レポート】
教育とはなにか?

日時:2月18日(日)10:00〜12:00
場所:マザーリーフカフェ 恵比寿
参加者:小沢さん、海津さん、木之下さん、倉藤さん、山下さん、塩島さん、山本さん、島村さん、齋藤さん、田代さん、林さん、宮本

こんにちは。
今月も2月度の自分道カフェを開催させていただきました。

今回は12名と人数も多く、2つのグループに分けて開催をさせていただきました。
先月も11人だったので、もう平均的にこれくらいの人数が集まる感じだとカフェではできないのかもしれないですね。

これからは会議室を予約しておこうと思います^^
みなさんいつでも自由に参加してください!( ^ω^ )

さて、今回、私たちのテーブルでは、
「至福」
「教育」
「占い」

もう一つのテーブルでは、
「両親」
「努力」
「愛」
「自分道カフェ」

について価値観を共有しました。

「自分道カフェ」がテーマとして挙がるのがすごいですよね 笑
私もその議論に参加したかったです。

さて、今回もいろいろな言葉について話ができましたが、
”教育”について自分なりのレポートを書いていきたいと思います。

教育、というテーマを出していただいたのは木之下さん。
夢の国でキャストとして働く彼女は、成長する機会として用意されているユニークで素敵な研修について紹介いただきながら、それがきっかけで教育という言葉について改めて考えたことを話してくれました。

教育というテーマでもみなさんの中で様々な意見をいただきました。

「教育とはその人が成長していくために必要なものを学ぶこと」
「教育は受動的、勉強は能動的」
「教育は個性を活かすためのもの」
「教育は人生を変えるための手軽な手段」

どの意見も聞きながらなるほどなぁって。
みなさんの意見はなんだか最近私自身が考えていたイメージとも被るものがありました。

私自身が最近教育について「難しいなぁ」という印象を持っていました。
これは教育する側でも教育を受ける側でも。

教育って、いろいろな手段や方法があると思うんですけど、教育って”誰かが生みだした(考え出した)良しとすることや方法を学ぶこと”という考えが私にはあります。

ポイントは、”誰かが生みだした”ってことです。
多くの教育ってどこか答えを教えることのようなイメージがあるんですよね。

哲学者ルソーが私は好きなのですが、彼は「エミール」という代表的な著書の中で教育についてこのように書いています。

「人は子ども時代というものを知らない。…いつも子どもを大人に近づけることばかりに夢中になり、大人になるまでの子どもの状態がどのようなものであったかを考えようとはしない」

これは子どもに対して述べられていることですが、なんか今の一般的に話される”教育”ってこの意味に近い気がしていて・・・。
いかに”大人に近づけるか”、いかに”誰かが決めた正しい道”を歩ませるか、いかに”私の導き出した答えを実践してもらうか”という部分で盛り上がりすぎているような気がして。

でも、本来は他者からの教えは”知識の一つである”という意識が私は大事だと思ってるんですよね。
それは伝える側も学ぶ側も。
その上で『本質だと感じたり、自分にとって大事だと思えるかどうかの判断が大切』だと思っていて。

特に、価値観や生き方が多様化する現代で、その判断力みたいな、感覚力みたいなフワッとしたゾーンがすごく大切になっていくんだろうなと思っていて。むしろ、AIとかロボットとかガンガン出てくる時代の中で、その部分を大切にすることで人間は生きて行くのかなぁとも思ったりするわけです。

なんか抽象的ですよね・・・。
具体的に書くと、例えば集客をしたいとする。

1 効率的で結果の出る集客をしたいと思う。
2 そのために集客のセミナーに行く。
3 そのセミナーで集客の仕方を学ぶ。
4 学んだ集客を実践する。
5 たくさん集客ができた。

こういうのってありがちだと思うんですけど、みなさんセミナーに行くとしたらどこに注力するんですかね。
多分いろいろ答えはあると思うんですけど、あくまでも私にとっては3番と4番の間がすごーく大切だったりするんです。

集客の仕方を学んで、実践する。 という間。
何かと言うと、私の中ではその環境や雰囲気とか空気がめちゃくちゃ重要です。

「なんか黒いなぁ」「なんか嫌なイメージだなぁ」「なんか違う気がするなぁ」

そう思ってしまうと、それがいかに素晴らしいメソッドや方法であったとしても、私は結構慎重になります。
距離も微妙に置いたりします。

なんででしょう。
でも、そこってすごく私の中では感覚的な話で、大切な判断基準なんですよね。
本物か偽物か、本当に”自分にとっての本質なのか否か”というのを直感的に判断してるのかもしれません。
けどこの感覚的な部分ってAIやロボット、他者には判断できないと思いますし、自分の中でジャッジができる部分な気がする。

もちろん、その結果良かったこと悪かったことはありますけど、それが自分の中でのフィードバックになったりするわけです。

だから、その感覚力とか判断力をすっ飛ばして「はい、これが答えです。これをやってください」と言われ、
「はい、わかりました。やりました」っていって終わらせるのは自分の感覚を鈍らせている気も私はするんです。

今ってすごく様々な教育や学びが綺麗にパッケージされているし、スマホを開けば興味あるニュースが飛び込んでくる。
でも、その”誰かにとって大切なこと”や”社会的な答え”ではなく”自分にとって大切なこと”を選択する判断力が大事な気がする。
大切だと信じる力でもいいかもしれないけど。

まぁ、そんなことを自分道カフェでも少し話していたのですが、その中で斎藤さんからの情報が面白いなぁって思いました。

それは「人間は”学ぶこと”が脳にインプットされている」ということ。
つまり、”本能が成長することを求めているし、生きていく上で成長が必要だ”ということ。

どこかの雑誌に検証結果が載っていたらしいですが、成長を辞めた人は早死にする人が多いみたいです。
ずーっと会社でバリバリ働いていた人が定年を迎えて家に篭り始めたらすぐ亡くなってしまった、という例もありました。

その話を聞いて、なるほどーって思ったんです。

最近、”貢献感”ということを考えていて。

アドラー心理学でも言われていますが、
自分のやっていることや提供したことに対して、相手がどう反応しようが本当の結果ってわからなくって。

「ありがとうございます! 自分のためになりました! 本当に変わることができました!」って笑顔で言ってもらえたとしても、それが本当に価値として捉えているかどうかは自分ではなく、目の前の人しかいないんですよね。

そしたら、自分は”相手に貢献できた!”という自負しかないわけで。
これって金銭が発生しててもしてなくても関係ない気はしていますが、これこそが貢献感なんだろうなって。

じゃあ、貢献感を得るにはどうしたらいいのか。
それって同じことをただただやり続けているだけじゃ得られなくなっていく気がするんですよね。

そして、思ったのが”成長と学び”だったんです。

自分をアップデートしていったり、自分にはない知識や経験を積んで、それを与えていくことで貢献感は得ていくのかなって。まぁ、別に新しい知識や学びを得る必要はないかもしれませんが、成長と学びを自覚することが大切なのではないかと。

ただ、成長と学びを得やすい場所が”教育”なんですよね。

「教育は人生を変えるために一番手軽な方法」という意見も確かになーって。
教育を受ける時って過去振り返るとそれ自体がチャレンジだったりする。

自分を変えたいとか、もっと価値提供できる幅を広げたいとか、新しい環境に飛びこもうとか。
昨日までと違う惰性の日々から一歩変えたくてチャレンジすることで、成長と学びを得てきたと思う。

大人になってからの能動的な教育は、それを受けようと決意して動くこと自体が成長と学びに繋がっているんですよね。

そう考えると、”自分の決意と一歩目”こそが自分を変えることなのだと思う。
”教育”という名目を利用した一歩目なのだと思う。

何かモヤモヤしたことがあるのなら、きっとそこにはチャレンジを求めている自分がいるのかもしれない。
うまくいかないことがあるのなら、それは新たな学びと成長を欲している自分がいるのかもしれない。
つまり、成長というチャレンジを続けたいと願う自分がいて、その名目として教育の選択がイマできるのだと思う。

これもルソーの名言であったんですけど、
「人は肉体があまりに安楽するほど、精神が腐敗する」

うん、なんかわかる気がする。

というわけで、教育という話でたくさん書いてしまったのですが、最終的に私としては、
「教育とは生きるために必要な学びと成長を得ることのできる一番わかりやすい方法」
として考えておこうかなって思います。

で、これ書いてて思いましたけど、やっぱり「判断力とか感覚を鍛えること」って大事だと思うので、ホンモノと出会う努力や自分の中でのフィードバックはしていきたいと思います。

今月もありがとうございました!
来月は3/18(日)10時から!

みなさんのご参加をお待ちしていますm(_ _)m

————————

今回で23回目。

誰も来なくてもやり続けます、きっと。
だからこれからも続きます、きっと。

自分道カフェは、
別に参加してもしなくてもいい。

疲れた時や悩んだ時、考え込んだ時、迷った時。
嬉しいことがあった時、楽しい出来事があった時。

参加する理由って別になんでもいいと思います。
一人一人需要が違うし、求めているものも違う。

でも、
来たい時に来れる場所がここにはあります。

仕事関係や遊び、家族、友達、年代、世代・・・
そんな枠を超え、価値観を共有できる場所。

どうするべきかなんて誰にも決められない。
いつだって決めるのは自分自身なんですよね。

今回、ある方が感想でこんなことを書いていたんです。

「自分にとっての価値観が明確だと幸福度が増していく」

久しぶりに心にグサリときた素敵な言葉でした。
ここにも自分道カフェの魅力が詰まっているのかもしれない。

でもなんだかんだいって、
私が続けている理由はシンプルです。

月一回。
みなさんとお会い出来る機会がある。

それだけの理由で私は続けている気がします。

アイデアとミンティア(2018年1月 自分道カフェ)

2018年1月開催レポート
【アイデアとミンティア】

日時:1月21日(日)10:00〜12:00
場所:東京ENGAWA
参加者:海津さん、木之下さん、秋山さん、山下さん、山本さん、落合さん、齋藤さん、田代さん、金井さん、多和田さん、宮本

こんにちは、宮本です。

2018年一発目の自分道カフェ!
今年最初の自分道カフェは11名の方に参加をいただきました。

今回初参加の方や久しぶりにご参加をいただけた方もいたりして。
こうやってみなさんと月一回でもお会いできる機会が本当に嬉しく思いますし、参加いただけることに感謝をしたいと思います。

さて、今回は2つのテーマについて話をしました。

・習慣
・アイデア

どちらも非常に面白いテーマでしたが、今回は「アイデア」について書いていきたいと思います。
参加者からは今回も様々な意見をいただきました。

「アイデアは誰でも出すことができる」
「組み合わせからアイデアは生まれると思う」
「日常の気付きが後から繋がっていく感じ」
などなど。

まぁ、想定の範囲内というか、自分の考えと近かったです。
でも、面白いなと思ったのはここからで。

アイデア、という言葉をみんなでネット検索してみたところ、
コトバンク的には

”アイデアとはギリシア語で「見る・知る」こと”

と出てきたんですよね。

見る、知る。
その行為自体がアイデアである、と。

でも、ここで私が疑問に思ったのは、例えば何かを考えているとして、そこから出てきた想いや考えは全てアイデアだと自分が自覚するかどうか、ということ。
例えば、(目の前にいる人が眠そうだなぁ)と思ったとして、それは”見る”ことで思うことであり、コトバンク的には「アイデア」ということになる。

・・・え?

その状況で、「あぁ、これはアイデアなんだなぁ」って…
思うわけないじゃないですか。

少なくとも私は思わない。
そしたら、自分の中で目の前の人が眠そうだと”見て”思ったとして、この考えがどこまで進んだら”アイデア”になるかを考えたわけです。

1)(目の前に眠そうな人がいるなぁ)
2)(目の前に眠そうな人がいるなぁ、なんとかしてあげたいなぁ)
3)(目の前に眠そうな人がいるなぁ、なんとかしてあげたいなぁ、眠気を取るならなんだろう)
4)(あ、ミンティア!)
5)「あのー、ミンティア食べます?」

こうしてみると、自分の中でアイデアに変わる(自覚する)のは、
4)(あ、ミンティア!)
なんですよね。

で、そう考えると

”見る・知る”    ことに加えて、
”自分の想い”    が加わって、
”自分の考え”    を張り巡らせて、
”答えを出す”    ときにアイデアに変わる気がしたんです。

で、
5)「あのー、ミンティア食べます?」
はアイデアを形にする、ということなんですよね。

ただこれ、話が戻ってしまうけど、やっぱりアイデアを出すには”見る・知る”が必要不可欠になってくる。

(目の前の人が眠そう)ということを見ることがなければ、そもそもアイデアが出てこない。
そして、ミンティアというものを”知っていなければ”、眠気を解消するアイテムとしてでてこない。
つまり、アイデアは見る・知るが必要なことになってくるんですよね。

・・・ただ、ここまで考えて更に大切なことに今気付きました。

1)(目の前に眠そうな人がいるなぁ)
2)(目の前に眠そうな人がいるなぁ、なんとかしてあげたいなぁ)
3)(目の前に眠そうな人がいるなぁ、なんとかしてあげたいなぁ、眠気を取るならなんだろう)
4)(あ、ミンティア!)
5)「あのー、ミンティア食べます?」

このアイデアの5段階。

実は、

2)(目の前に眠そうな人がいるなぁ、なんとかしてあげたいなぁ)

がとても大切なのではないかということ。

そもそもアイデアというのは、自分の情熱が大きく関わってくるのではないかと思うのです。

自分道カフェの中でもディズニーで働く木之下さんの意見が面白かったです。
木之下さんは、ディズニーのことは常にアンテナを張り巡らせていて、来園されたお客様から道やアトラクションの効率的な周り方を聞かれた際には、すぐにアイデアが浮かぶとのこと。

「まず、この道を突っ切ってプーさんのファストパスをとって、
10分後にこのショーを見て、
そのあとすぐにシンデレラ城を横切ってこのアトラクションに乗って、
そのあとにその15分後にショーがあるので、それを見てください」

これが瞬時に出てくるみたいです。
そして、これはディズニー関連のことについては人一倍の興味関心があるからできることなんだそうです。

でも、アイデアってそういうもんなんだろうな、って思うんです。

「自分はアイデアを出すのが苦手」

そう言われる方も、自分が好きなことだったり知識や経験があることだったら、すぐに発想が浮かぶことがあります。

仕事の新しい企画を考えるより、
趣味やプライベートの新しいアイデアはポンポン浮かんだりするんですよね。

私自身もこの前、会社で今年の事業の新しい施策について案出しを求められました。
そこですぐ浮かんで口にしたこと。

「製薬業界の顧客コミュニティを作りましょう。」

これって私が自分道カフェとかカレッジとかやってきたからこそだし、
製薬業界の知識もあるからこそ。
そして、根底にあるのはその製薬業界で何かできないか? ということ。

リーダーは、「面白い、それでいこう!」って。
こんな簡単に、アイデアが生まれてしまう。

きっと何かを変えたいと願うときにアイデアは出るのだと思うし、
そのアンテナは情熱や興味関心が高いところでしか生まれない。

「アイデア」
・自分自身の情熱、興味関心のアンテナ
・何かを変えたいという想い

私は今回、そんな風に答えを出してみたいと思います。
みなさんの考えもぜひ教えてくださいね^^

次回は、
2月19日(日)10:00〜
@都内のカフェや会議室

自分道カフェのLINE@でも告知していきますね。
それではまた来月お会いしましょう!

・・・ミンティアとアイデアって分かり辛いですね。

〜1月度の参加者の感想を一部ご紹介〜
・習慣にアイデア。最初はあんまりピンとこなかったテーマが、皆で話していくとなんだか目に見える形になってきて、自分の中での印象も再確認できるんだなぁと面白かったです。
・毎回一つのテーマで色々な考えから自分が考えていなかったことが出てきたりして本当に楽しいです。また参加したいです。
・アイデアはゼロから生まれるのではなく、経験に基づいて出てくるものだと思いました。とにかく多くの経験を積んでいきたい。
・予想外の発想から話が盛り上がって面白かった。全員が何かを話せる仕組みを作れたらもっと良かったと思う。
・今日の習慣、アイデアというテーマは自分の日常生活の送り方を見直すきっかけとなる話がたくさん聞けたと思っています。
・いろんな意見を聞き、また考えさせられました!

人が変わるときこそ(2017年12月 自分道カフェ)

自分道カフェレポート(12月)
【人が変わるときこそ】
日時:12月10日(日)10:00~12:00
場所:赤坂紀尾井坂 ディーン&デルーカ
参加者:7名(小沢さん、田代さん、海津さん、山本さん、山下さん、林、宮本)

お疲れさまです!
自分道カレッジの宮本(のぶりん)です。

今年最後の自分道カフェ。

先週末に忘年会を開催したばかりですが、今月も開催させていただきました。何名か色々なアクシデントで来れなくなってしまいましたが、今月も7名に参加をいただき、本当に有意義な時間を過ごさせていただきました。

今回は、以下のテーマ。

「趣味」「休日」「転機」

今回は、中でも「転機」について、私なりの意見を書いていきたいなと思います。

私は、今まで「転機」という言葉についてきちんと考えたことはありませんでした。

この議題を挙げられたのは山本さん。

彼女が最初に言いだしたのは、
「日常は転機で溢れていて、転機は自分で作るものだと思う。みなさんはどのような時に転機だったと感じますか?」
とのこと。

参加者のみなさんが最近転機だと感じたことをお話されていきました。
「私の転機は常に人が絡んでいる気がする」
「なんか今を変えたいとか思ったときに動けた気がする」
「なんにも考えていなかったけど、あれが転機だったんだなって後から気づく」

色々な意見がありました。
そんな話を聞きながら、私が思ったのは、

”転機”だと感じる瞬間にこそ、一人一人の個性や自分らしさが出るんだろうな、と。

山本さんが言うように、私も転機というのはこの瞬間瞬間に流れているものだと思う。
それは、いわゆる私の中では転機は大きなものではなく、小さなことだという感覚が強い。
小さな転機が積み重なり大きな転機になるイメージ。

まぁ、つまりは、自分が常にイマ変わることができるということになる。

でも、どうだろう。
私は、イマこの瞬間に自分自身を変えることができるのに、
なのに、なぜかなかなか変えることができないシーンが多い。

大きな話だとわかりづらいから小さい話にしてみようと思う。

→YouTube見すぎてる!わかってるけど、あともう一個だけ。
→この面倒な対応しなきゃいけない。でも、簡単な仕事片付けてから
→”とりあえず”これやってからやろー

まぁ、これ全て私の話なのだけど、この行動をイマすぐ正すことは物理的にできることは私自身も知っている。
多分、みなさんの中でもそんな感覚はあると思う。(と信じたい 笑)

ただ、これ思うんだけど、じゃあイマから変わる! という決意を持つことはできても、それを実行し続けることができるかというと途端に自信がなくなってくる。

何回も自分を律するアクションを取ったこともある。
でも、結局惰性に戻ることの方が多い。

だって、自分の心はその惰性を望んでいるから 笑
そして、安定したイマ、時間が流れてウヤムヤになっていくイマを望んでいるから。

わかってる。
きちんと自分を律する大切さも、時間の大切さも。
親や自己啓発、トレーナーやコーチに言われて、わかってるつもりなんだけど。

・・・いや、結局わかってない。

ただ、そりゃそうだろ、とも思うんです。
世の中で教える自律とかタイムマネジメントとか、本当にそんなことで人は変わるのか? とも思うんですよ。

だって、それってそれを言い出した人の意見ですよね。
人が変わることや人の転機は、そんなシステムや一概には括れない部分がきっとある。

自律の大切さとか時間の大切さってもしかしたら真理に近いものなのかもわからないけど、それは自分にとっての真理かどうかはわからない。学校や自己啓発が教える理論だってあっているかどうかは自分次第だと思う。

そのシステムに合わせていく必要は一切ないし、結局合わせて変わっても何も変わらない。
(ということはこの1年半のコーチングで本当に学ばせていただいた)

だからこそ。
だからこそ、自分が変わる瞬間とか、安定した環境を抜け出す、自分を変えようとする瞬間ってすごいことだと思いませんか?

実際に「転機」になったこと(行動も結果も変わったこと)ってめちゃくちゃすごくないですか?

人はそんな簡単には変われない。
だからこそ、転機となったことこそ自分自身の全てが出る瞬間なんじゃないかと思うんですよね。
自分らしさや個性がそこに隠されていると思うんですよね。

以前、TRIGGERというWEBサイトをやっていました。
今もそのサイトは残っているけど、それは全てその人が変わる瞬間や転機を必死で取材して、全てを汲み取り、全力で発信をした。

その掲載された方がこの前2年前くらいのTRIGGERの自分の記事を見返して、こんな感想を残してくれた。

「私、根本は変わってないや」

転機。その言葉に全て集約されている気がする。

結局、自分が変わる時。それは、ひとりひとりの個性が現れる時。
心が本来のあるべき姿に進もうとしているときなのかもしれない。

「転機」
自分らしさが現われる時。
心があるべき姿に進もうとしているとき。
だから変わることができること。

私自身は、今はこのように結論を付けようと思います。

自分自身の転機ももう一回振り返ってみようかな。
みなさんの今までの転機もまた教えてください!

自分道カフェに参加いただいたみなさま、今年も本当にありがとうございました。
今年は忘年会もできて、自分道カフェにも協賛いただく方やファンも増えてくださって、本当に感謝感激です。

一気に加速させる必要はないと思っています。

ただ、全員が哲学者になれる時間があることは確実に積み重ねていきたいです。
会社や組織や仕事で疲れ果てたとしても、自分に戻れる場所と空間と時間があってもいいと思っています。

今回は散文すぎてごめんなさいm(_ _)m

来月は、
第22回自分道カフェを
2018年1月21日(日)10時から開催!

みなさまのご参加をお待ちしています( ^ω^ )

時間と人脈(2017年11月 自分道カフェ)

【時間と人脈】

日時:11月12日(日)10:00~12:00
場所:後楽園 ENGAWA
参加者:11名(小沢さん、多和田さん、金井さん、田代さん、秋山さん、山本さん、山下さん、田頭さん、小野さん、西川さん、宮本)

お疲れさまです!
宮本です。

今回も初参加の方が2名。
毎回初参加の方が増えていく感じは素敵ですね。

本当にありがとうございます。

さて、昨年の4月から数えると今月で・・・
なんと、記念すべき20回目だったんですね!!

全然意識してなかった! だからこそ続けられている気もしますね!

さて、今回のテーマは、

「時間」

「人脈」

人数も多く、参加者のなかで会話が盛り上がっていったので人数が多いとこういう感じになるのだなあと。

そして、やっぱり昨年から比較すると、みなさん一人ひとりが自由に発言できているのがすごいなあと。続けると色々な変化を感じることができますね。

さて、今回はそれぞれのテーマで私の感じたことを書いていきたいなあと思います。

「時間」

このテーマって汎用性が高いので、自分道カフェでもよく出てくるのですが、今回は色々な分野のお仕事の方がいたので、本当に新しい意見ばかりで斬新でした。

→時間は機会コスト

→年齢を重ねると細胞分裂が緩やかになることから体感時間が短くなる

→遅刻はゆるやかな殺人・・・

などなど、結構具体的な意見や今までの知見などからお答えされるケースが今回は多かった気がします。

わたしにとって時間ってなにかって考えてみると、 「命」と「尺度のひとつ」かなって思います。

私自身は

”人間って終わりがあるから頑張れるし、進化ができる”

って思ってて、究極、現状の科学ではこの世界の人たちは共通していることが2つだけあって。

1)生まれる

2)死ぬ

本当に共通しているものってこのことしかないん じゃないかと。

↓ここからはわたしの感情や個人的見解もたくさん盛り込まれていきますm(_ _)m

もし、2)死ぬ を少しでも否定できる可能性があるとしたら、人間はもしかしたら進化しないんじゃないかなって思うんです。少なくともわたしは毎日を怠惰な生活を送る気がします。

うん、それは間違いない。
だって死なないんだもの。

いつか頑張ろう、ってずっと言い続ける気がする 笑

で、時間という話に戻すと、この死ぬまでの間のことを多くのひとが「時間」と呼んでいる。

将来の夢を抱いたり、目標を立てて進んだり、人生プランを考えてみたり。

それは全て自分が死ぬことをゴールとして立てられている場合が多いと思うんですよね。

でも、果たして本当にそうなのか、とわたしは思ったりもするんです。

時間って結局概念を言葉にしただけであって。

上の理屈でいくと、じゃあ自分が死ぬのっていつなの? ってなる。

そこから逆算しないといけない。

でも、自分が死ぬ時を知っているひとってそうそういないですよね。

僕はわからないし、正直わかりたくもない。むしろ、”寿命がわかることで毎日を頑張らない可能性”も出てくる気がする。その方が幸せなのかもしれないけど・・・

で、話を戻すといつ死ぬのがわからないのだから自分が死ぬまでの間を時間と呼ぶなら、確実な時間は結局、”今この瞬間”しかない。

そしたら、時間というのは、

「今この瞬間の命そのものなんじゃないかな」って思うんです。

でも、そうなると、目標や人生プランが無駄なように感じるかもしれない。

けど、それは未来のいつやってくるかわからないその日のためにあるのではなく、今この瞬間の命を燃やすために存在してるんじゃないかと。

将来、年収1億円になる。その目標があるのであれば、その目標自体に価値があるのではなく、その目標に向けて今この瞬間を頑張れることに意味があるのではないかと。

・・・と、

長くなりましたが、そんなこんなで時間というものは突き詰めると私の中では、今この瞬間だという結論に至りました。

そう考えると、時間って有限なものではなく、本当は無限なのかもしれないですね。

「人脈」についてはまた機会を見てレポート書いていきます!

さて、来月は12月3日に自分道カフェの大忘年会を開催します!

自分道カフェはやりませんが、参加者も増えてきたので、ワイワイと美味しいご飯を食べながらお話ができたらいいなあって思います( ^ω^ )

それでは、今月のレポートはここまで。

また来月にお会いしましょう( ・ω・)ノ

宮本伸男