教育とはなにか?(2018年2月 自分道カフェ)

【2018年2月レポート】
教育とはなにか?

日時:2月18日(日)10:00〜12:00
場所:マザーリーフカフェ 恵比寿
参加者:小沢さん、海津さん、木之下さん、倉藤さん、山下さん、塩島さん、山本さん、島村さん、齋藤さん、田代さん、林さん、宮本

こんにちは。
今月も2月度の自分道カフェを開催させていただきました。

今回は12名と人数も多く、2つのグループに分けて開催をさせていただきました。
先月も11人だったので、もう平均的にこれくらいの人数が集まる感じだとカフェではできないのかもしれないですね。

これからは会議室を予約しておこうと思います^^
みなさんいつでも自由に参加してください!( ^ω^ )

さて、今回、私たちのテーブルでは、
「至福」
「教育」
「占い」

もう一つのテーブルでは、
「両親」
「努力」
「愛」
「自分道カフェ」

について価値観を共有しました。

「自分道カフェ」がテーマとして挙がるのがすごいですよね 笑
私もその議論に参加したかったです。

さて、今回もいろいろな言葉について話ができましたが、
”教育”について自分なりのレポートを書いていきたいと思います。

教育、というテーマを出していただいたのは木之下さん。
夢の国でキャストとして働く彼女は、成長する機会として用意されているユニークで素敵な研修について紹介いただきながら、それがきっかけで教育という言葉について改めて考えたことを話してくれました。

教育というテーマでもみなさんの中で様々な意見をいただきました。

「教育とはその人が成長していくために必要なものを学ぶこと」
「教育は受動的、勉強は能動的」
「教育は個性を活かすためのもの」
「教育は人生を変えるための手軽な手段」

どの意見も聞きながらなるほどなぁって。
みなさんの意見はなんだか最近私自身が考えていたイメージとも被るものがありました。

私自身が最近教育について「難しいなぁ」という印象を持っていました。
これは教育する側でも教育を受ける側でも。

教育って、いろいろな手段や方法があると思うんですけど、教育って”誰かが生みだした(考え出した)良しとすることや方法を学ぶこと”という考えが私にはあります。

ポイントは、”誰かが生みだした”ってことです。
多くの教育ってどこか答えを教えることのようなイメージがあるんですよね。

哲学者ルソーが私は好きなのですが、彼は「エミール」という代表的な著書の中で教育についてこのように書いています。

「人は子ども時代というものを知らない。…いつも子どもを大人に近づけることばかりに夢中になり、大人になるまでの子どもの状態がどのようなものであったかを考えようとはしない」

これは子どもに対して述べられていることですが、なんか今の一般的に話される”教育”ってこの意味に近い気がしていて・・・。
いかに”大人に近づけるか”、いかに”誰かが決めた正しい道”を歩ませるか、いかに”私の導き出した答えを実践してもらうか”という部分で盛り上がりすぎているような気がして。

でも、本来は他者からの教えは”知識の一つである”という意識が私は大事だと思ってるんですよね。
それは伝える側も学ぶ側も。
その上で『本質だと感じたり、自分にとって大事だと思えるかどうかの判断が大切』だと思っていて。

特に、価値観や生き方が多様化する現代で、その判断力みたいな、感覚力みたいなフワッとしたゾーンがすごく大切になっていくんだろうなと思っていて。むしろ、AIとかロボットとかガンガン出てくる時代の中で、その部分を大切にすることで人間は生きて行くのかなぁとも思ったりするわけです。

なんか抽象的ですよね・・・。
具体的に書くと、例えば集客をしたいとする。

1 効率的で結果の出る集客をしたいと思う。
2 そのために集客のセミナーに行く。
3 そのセミナーで集客の仕方を学ぶ。
4 学んだ集客を実践する。
5 たくさん集客ができた。

こういうのってありがちだと思うんですけど、みなさんセミナーに行くとしたらどこに注力するんですかね。
多分いろいろ答えはあると思うんですけど、あくまでも私にとっては3番と4番の間がすごーく大切だったりするんです。

集客の仕方を学んで、実践する。 という間。
何かと言うと、私の中ではその環境や雰囲気とか空気がめちゃくちゃ重要です。

「なんか黒いなぁ」「なんか嫌なイメージだなぁ」「なんか違う気がするなぁ」

そう思ってしまうと、それがいかに素晴らしいメソッドや方法であったとしても、私は結構慎重になります。
距離も微妙に置いたりします。

なんででしょう。
でも、そこってすごく私の中では感覚的な話で、大切な判断基準なんですよね。
本物か偽物か、本当に”自分にとっての本質なのか否か”というのを直感的に判断してるのかもしれません。
けどこの感覚的な部分ってAIやロボット、他者には判断できないと思いますし、自分の中でジャッジができる部分な気がする。

もちろん、その結果良かったこと悪かったことはありますけど、それが自分の中でのフィードバックになったりするわけです。

だから、その感覚力とか判断力をすっ飛ばして「はい、これが答えです。これをやってください」と言われ、
「はい、わかりました。やりました」っていって終わらせるのは自分の感覚を鈍らせている気も私はするんです。

今ってすごく様々な教育や学びが綺麗にパッケージされているし、スマホを開けば興味あるニュースが飛び込んでくる。
でも、その”誰かにとって大切なこと”や”社会的な答え”ではなく”自分にとって大切なこと”を選択する判断力が大事な気がする。
大切だと信じる力でもいいかもしれないけど。

まぁ、そんなことを自分道カフェでも少し話していたのですが、その中で斎藤さんからの情報が面白いなぁって思いました。

それは「人間は”学ぶこと”が脳にインプットされている」ということ。
つまり、”本能が成長することを求めているし、生きていく上で成長が必要だ”ということ。

どこかの雑誌に検証結果が載っていたらしいですが、成長を辞めた人は早死にする人が多いみたいです。
ずーっと会社でバリバリ働いていた人が定年を迎えて家に篭り始めたらすぐ亡くなってしまった、という例もありました。

その話を聞いて、なるほどーって思ったんです。

最近、”貢献感”ということを考えていて。

アドラー心理学でも言われていますが、
自分のやっていることや提供したことに対して、相手がどう反応しようが本当の結果ってわからなくって。

「ありがとうございます! 自分のためになりました! 本当に変わることができました!」って笑顔で言ってもらえたとしても、それが本当に価値として捉えているかどうかは自分ではなく、目の前の人しかいないんですよね。

そしたら、自分は”相手に貢献できた!”という自負しかないわけで。
これって金銭が発生しててもしてなくても関係ない気はしていますが、これこそが貢献感なんだろうなって。

じゃあ、貢献感を得るにはどうしたらいいのか。
それって同じことをただただやり続けているだけじゃ得られなくなっていく気がするんですよね。

そして、思ったのが”成長と学び”だったんです。

自分をアップデートしていったり、自分にはない知識や経験を積んで、それを与えていくことで貢献感は得ていくのかなって。まぁ、別に新しい知識や学びを得る必要はないかもしれませんが、成長と学びを自覚することが大切なのではないかと。

ただ、成長と学びを得やすい場所が”教育”なんですよね。

「教育は人生を変えるために一番手軽な方法」という意見も確かになーって。
教育を受ける時って過去振り返るとそれ自体がチャレンジだったりする。

自分を変えたいとか、もっと価値提供できる幅を広げたいとか、新しい環境に飛びこもうとか。
昨日までと違う惰性の日々から一歩変えたくてチャレンジすることで、成長と学びを得てきたと思う。

大人になってからの能動的な教育は、それを受けようと決意して動くこと自体が成長と学びに繋がっているんですよね。

そう考えると、”自分の決意と一歩目”こそが自分を変えることなのだと思う。
”教育”という名目を利用した一歩目なのだと思う。

何かモヤモヤしたことがあるのなら、きっとそこにはチャレンジを求めている自分がいるのかもしれない。
うまくいかないことがあるのなら、それは新たな学びと成長を欲している自分がいるのかもしれない。
つまり、成長というチャレンジを続けたいと願う自分がいて、その名目として教育の選択がイマできるのだと思う。

これもルソーの名言であったんですけど、
「人は肉体があまりに安楽するほど、精神が腐敗する」

うん、なんかわかる気がする。

というわけで、教育という話でたくさん書いてしまったのですが、最終的に私としては、
「教育とは生きるために必要な学びと成長を得ることのできる一番わかりやすい方法」
として考えておこうかなって思います。

で、これ書いてて思いましたけど、やっぱり「判断力とか感覚を鍛えること」って大事だと思うので、ホンモノと出会う努力や自分の中でのフィードバックはしていきたいと思います。

今月もありがとうございました!
来月は3/18(日)10時から!

みなさんのご参加をお待ちしていますm(_ _)m

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今回で23回目。

誰も来なくてもやり続けます、きっと。
だからこれからも続きます、きっと。

自分道カフェは、
別に参加してもしなくてもいい。

疲れた時や悩んだ時、考え込んだ時、迷った時。
嬉しいことがあった時、楽しい出来事があった時。

参加する理由って別になんでもいいと思います。
一人一人需要が違うし、求めているものも違う。

でも、
来たい時に来れる場所がここにはあります。

仕事関係や遊び、家族、友達、年代、世代・・・
そんな枠を超え、価値観を共有できる場所。

どうするべきかなんて誰にも決められない。
いつだって決めるのは自分自身なんですよね。

今回、ある方が感想でこんなことを書いていたんです。

「自分にとっての価値観が明確だと幸福度が増していく」

久しぶりに心にグサリときた素敵な言葉でした。
ここにも自分道カフェの魅力が詰まっているのかもしれない。

でもなんだかんだいって、
私が続けている理由はシンプルです。

月一回。
みなさんとお会い出来る機会がある。

それだけの理由で私は続けている気がします。

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